30
5月
2012

卒業プロジェクト2012、の後で

卒業プロジェクト作品展にて講評をしていただいた石崎尚氏より、その後コメントを頂戴しました。

直接講評を受けた卒業生は勿論、これから卒プロに取り組んでいく学生にもぜひ読んでおいてほしい内容です。

 

卒業プロジェクト、の後で

石崎尚

過日、ビジュアル・アーツ学科の卒業プロジェクトで講評を担当させて頂きました。思ってもみなかった形で母校に関わることが出来、貴重な体験となりました。その時のことを振り返ってみて、卒業生の皆さんにお伝えしたいことをいくつか記します。

まず作品の作り方について。皆さんが作品に込めたかった思いについては、他人がとやかく言う問題ではありませんし、その思いを尊重したいと思います。けれども思いを形にするやり方、つまり作品に仕上げる際の判断については、もう少し丁寧にやって欲しかったと思います。率直に言って皆さん自身が、もっと自分の作りたい気持ちを尊重すべきだと思いました。それは作りたいように作るという意味ではなく、作るという動機に敬意を払うという意味です。せっかく長い時間をかける作品なのですから、念入りに計画を練った上で、最後まで気を抜かずに仕上げるのが、卒業プロジェクトという節目に対する正当な向き合い方ではないでしょうか。具体的なアドバイスをするならば、ファイナルの作品を作る前に、少なくとも一度はテストピース(試作品)を作るべきです。これは美術に限らず、多くの分野で行われている慣習です。計画段階で一度作品の現実的な仕上がりを確認すること。そしてそれを踏まえた上で、最終的な落とし込みに何が必要なのかを知ること。これは作品が作品である以前に、作られたもの(製品)としての最低限のクオリティを維持するためには欠かせないチェック作業です。

次に作品を伝える努力について。作品は出来上がったものを見せれば全て伝わるはずだ、というのは残念ながら不遜な思い込みに過ぎません。実際の作品の流通というものは、作品の鑑賞体験以外の、雑多な情報によって行われる場合が殆どです。講評会というのはそういうことを学ぶ機会です。それは聞き手に対して作品の話をすることで何かが伝わることを経験するのではなく、むしろ何が伝わらないのかを知り、それを今後の作品制作に活かすための貴重な場です。実はそういう経験こそがものづくりに対する考え方を鍛えてくれます。実際には講評会でのやり取りが面倒くさくなって、適当にやり過ごそうと思った人もいるかもしれません。けれどもそういう場をやり過ごさず、作品が理解されるための努力を惜しまないこともまた、作者の責任と言えます。そもそも作品を作って発表する人が、作品にまつわるコミュニケーションを断念してしまっては本末転倒です。

多くの場合、卒業制作というものは後悔だらけの結果になります。しかし後悔したからこそ制作を続けている人も山ほどいます。つまり自らの限界を知り、今後も何らかの制作を続けるのかどうかの判断材料となることが、卒業プロジェクトの唯一の意義なのかもしれません。皆さんが今後も制作を続けるのかどうか、私には分かりません。けれども、計画的な作業とコミュニケーションの努力を惜しまないという上記の2点は、おそらく社会のどのような現場に出ても必要になってくる事柄だと思います。皆さんの今後のご活躍を願ってやみません。

 

石崎尚(いしざきたかし)氏プロフィール 

2000年 玉川大学文学部美術学科芸術文化専攻卒業/2002年 多摩美術大学美術研究科芸術学専攻にて修士課程修了/世田谷美術館学芸員、目黒区美術館学芸員を経て2012年より愛知県立美術館学芸員

『メグロアドレス』などの企画で現代美術作家の紹介など勢力的に活動している。

   

 

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